― 仲間の想いを知るライフステージに応じた柔軟な働き方で、社員と共に未来を切り拓く


資産コンサルティング部
中澤 一世
静岡県出身。大学卒業後、株式会社市萬に入社。不動産の価格査定や売買仲介業務、税務・法務面の社内担当を経て、現在はお客様への土地有効活用や相続対策、空室対策、キャッシュフロー改善のご提案などの業務に携わる。そのほか、提携金融機関・税理士事務所等からの不動産相談への対応業務にも携わる。
静岡県出身。大学卒業後、株式会社市萬に入社。不動産の価格査定や売買仲介業務、税務・法務面の社内担当を経て、現在はお客様への土地有効活用や相続対策、空室対策、キャッシュフロー改善のご提案などの業務に携わる。そのほか、提携金融機関・税理士事務所等からの不動産相談への対応業務にも携わる。
偶然の出会いから始まった不動産業界への道
―― 不動産業界や今の職種に興味を持ったきっかけ、入社した理由を教えてください。
もともと不動産業界に興味を持っていたわけではありませんでした。入社当時たまたま用賀に住んでいたこともあって、歩いて通える距離で事務職を探していたところ、偶然市萬を見つけたという経緯です。「謄本」って言葉さえ知らずに入社したので、今だったら絶対に受かっていないと思います(笑)
―― 前職は何系だったんですか?
マスコミ系でした。
―― 全く別業界だったんですね!ちなみに、市萬に入社されたのはいつ頃だったんですか?
2001年です。一時期、出産で市萬を離れた時期があったので通算で言うと分からないですが、入社時期では私より古い人はいないです。
―― 入社されてからはどんな部署で働いていたんですか?
まずは総務、経理。その後査定を担当しました。当時は市萬も走り出しの頃だったので、たとえばちょっとした書面の雛型もない状態で。ゼロからワードで資料を作成したり、顧客様に向けて会報誌を作ったり、制作会社をゼロから探してホームページを作ったりもしました。
―― まさに、市萬のゼロイチを作り上げたんですね!
そうですね。当時は人が少なかった分、社員が急に休むとその仕事がそのまま回ってくるような状況で、そのあと査定や契約書作成の業務も担いました。
―― でも、当時マルチに活躍されていながら、出産を機に一旦会社を退社されているんですよね?
そうなんです。入社して4年目で、出産育児のため2年半ほど仕事から離れていましたが、その間に会社がとても進化していたんです。例えば、管理物件数は退職直前は2棟くらいだったのが、復帰したら相当な数に増えていてビックリでした!
復帰後は、営業企画の業務にも携わるようになって、社内の仕事は賃貸の管理業務と営業以外はすべて経験していると思います。

社員の声を反映した柔軟な働き方の推進
―― 今は組織開発や人材育成にも携わっているそうですね
はい。今までの市萬はフラット型の組織で、基本的に社員のマネジメントは社長の西島がほぼすべてを担っていました。ただ、社員数が増えて会社が大きくなると、どうしてもきめ細やかさに限界が出てきてしまって。最近は、マネジメント層として中間管理層をしっかりと配置する形態へと切り替えを図っています。
とは言え、実際にやってみると一筋縄ではいかないことも多くて苦労しているのですが、会社の永続性を考えたら絶対に必要な改革なので、今が頑張りどころだと思って取り組んでいます。
―― 次は「挑戦」というキーワードでお話しを伺おうと思っていましたが、聞くまでもなく日々「挑戦」の連続ですね(笑)
そうですね(笑)個人的な話でいうと、私は人前で話すのが本当に苦手で…。だから当初、お客さんと直接やり取りがない事務を希望して入社したのですが、仕事をこなす上で人前で話すことの必要性は感じていて。
去年、とある研修で100人ほどの前で話して欲しいという依頼があって、思い切って引き受けました。自分的にはとんでもない挑戦でした。
―― すごい!私も苦手なので、尊敬しかないです!その他、中澤さんが挑戦したことはありますか?
評価制度のひとつとして「プラスアルファ評価」を作りました。これは、目標設定の時に定められていなかった+αの取組や成果もしっかりと評価して、人事評価や報酬に反映するという制度です。社員が増えていく中で、組織作りの一環として業務の分担を明確にしていったのですが、市萬の仕事はサービス業でもあるので、その弊害として「ここは誰がやるの?」みたいな隙間業務がいっぱい生まれてしまって。もちろん気づいてやってくれる人もいて、その頑張りを評価して欲しいという声も上がっていたので、社員のモチベーションUPや組織の持続性を考えて制度を設けました。

子育てから介護へ。多様なライフステージを支える会社に
―― なるほど。社員さんの声にきちんと耳を傾ける姿勢も素敵ですね。ところで、先ほどの話でお子さんもいらっしゃるという事でしたが、当時育児と仕事はどんなふうに両立されていたんですか?
冗談抜きにホントに記憶がないんです(笑)社会全体として働きながら子育てをすることへの理解も薄かったので、両親、義理の両親、妹を総動員して、なんとか乗り切っていました。
―― 私も子供がいるんですけど、ここ10年くらいで子育てに関する社会の認識が相当変わったなぁと実感しています。そんなご自身の苦労があって、他の社員に同じ思いをさせたくない一心で働き方改革もあったそうですが。
そうですね。昔はフルタイムの社員だけだったのが時短勤務の方も入ってくるようになって、社内の協力体制を見直しましたね。たとえば、最近では男性のフルタイム社員が、育児のために変則的な勤務形態で働き始めたんですけど、実現した時に「この会社、本当に変わったぞ!」って感動しました。

―― 私もそのお話を伺った時は衝撃でした!
ただ、全体的に子育ては落ち着きつつあるのですが、今後は介護の問題が出てくると思うんです。それで仕事を辞めざるを得なかったり、キャリアを諦めたりすることがないように、また色々と整備をしていく必要性を感じています。個々のライフステージに合わせた働き方を打ち出していけるかどうかが、今後会社が10年、20年と歩み続けていく上でとても重要になっていくと思うんです。
―― 本当にその通りですね。今後、ご自身としてはどんなことを実現していきたいですか?
昔、「将来どんな自分になりたいか」という会社のアンケートで「(仮称)中澤課を作りたい」って書いたことがあるんです。どういうことかというと「知識やアイデアの駆け込み場所」みたいなもので。スタッフやお客様のご要望に合わせて、パッと提案書を出せるような人になりたいという想いは、今も変わっていないですね。あとは、自分自身も介護問題が間近に迫っていますが、新たな働き方を見出しつつ、市萬でできるだけ長く働きたいと思っています。
インタビューを終えて
業種にこだわりがなく、元々は事務職を希望していたというのが衝撃なほど、市萬を多方面で支え続けている中澤さん。会社のゼロイチを作り上げたバイタリティも健在で、どんな仕事にも嫌な顔ひとつせずに、とにかくきもちよく取り組む姿勢に感銘を受けるスタッフも多いのではないでしょうか。そんな中澤さんにも、子育てと仕事の両立で思い悩んだ時代があったことに驚きましたが、だからこそ、個々のライフステージに合わせた働き方が会社の永続性につながるという言葉にはとても説得力がありました。今後も時代に合わせて、変化し続ける市萬を先導していただきたいです。
取材ライター:平床麻子
世田谷区用賀在住。4児の母。ライター、モデルの傍ら、NPO法人neomuraの理事として地域活性に携わる中で市萬と出逢う。現在は広報やライティングを軸に業務をサポートしている。